若い頃はそんなに考えなかったのですが、35歳を越えたあたりから自分の人生の残り時間に関して考える機会が増えました。
何かを成し遂げようと考えた時、それを実現するためには相応の時間が必要なことを実感してきたことがその根底に有り、そして芸能人や著名人の訃報を見て、その年齢から自分の両親や親戚との残り時間に関しても考えるようになりました。
寿命は人それぞれだけれど、確実に死に向かって進んでいっているのだなと思ったとき、自分の時間がとっても大事なものと実感しました。
今やっていることは自分の時間を捧げるのに相応しいかを考える。
時間というものは意識してもしなくても過ぎていきます。そのスピードは全世界共通で平等です。
若い頃は何でもできると思っていました。どうにかなると思っていました。
しかし年齢を重ねるに連れて、確実に肉体的な衰えは姿を見せ始め、今まで通りではいかないなという感覚が増えていきました。
朝まで飲んで数時間寝てもいつも通りのパフォーマンスを発揮できなくなり、食べ物が自分のパフォーマンスに影響を及ぼすことを痛感するようになり、自分のためだけに使える時間の貴重さを痛感するようになります。
あれ?自分の時間の貴重度が数年前の数十倍なんじゃないか??
このような疑問を持った僕は、自分の日常の中の自分の時間の使い方を改めて振り返ってみました。
すると、もう無意識レベルで日常のルーティーンとして行っていたことでしたが、自分の時間を誰かの情報や、自分の恐怖心を紛らわすための無意味な時間として使用していたことがよく分かりました。
残り時間を考えた時、とってもとっても貴重な自分の時間
TVを見ているとき、LINEを打っているとき、誰かに会っているとき、
すべて自分の貴重な時間を費やしています。
自分の時間を少し費やせば出来ることもあれば、年単位で費やさなければ出来ないことや、時間をたくさん費やしても出来ないかもしれないことがあるのが現実です。
出来ることならば自分がやりたいことだけやって、それで生きていければ一番なのですが、
そんなに甘くないこともよく分かり、生きていくために自分の時間を費やさなければいけないことがあるのも事実です。
となると本当に自分のために使える時間ってそんなに多くなくて、そして貴重なのです。
どう頑張っても時間を戻すことは出来ない以上、
そして人生は一度きりと考えた場合、
自分の時間を意識的に自分のために使っていかないととっても勿体無いと思っています。
一度きりの人生だから、自分の時間を、限りある人生の貴重な自分の時間を大事に使っていくことが本当に重要です。