はじめまして。オプティマイザーのyutaと申します。
僕は、「アラフォー男子」に対し、 「アラフォー男子が心から望む自分らしい人生」を見つけ、そして「自分なりの幸せを手に入れていくために環境を整え、オプティマイズすること」のサポートをしています。
オプティマイズ=最適化するためには今の自分自身と向き合う必要があり、自分の常識や当たり前に捉われずに環境を整えていくことが必要になるのですが、そのためには捨てるだけでもなく、止めるだけでもなく、時には残すことも必要で、さらには環境や状況はひとそれぞれで、自分ではどうしても見えなくなっている部分もあるので、サポート役としてオプティマイズのお手伝いをしています。
はじめに
僕は小さいころから独立したいという夢や、店を持ちたいという夢を持っていました。
とても抽象的ですが、自分の力で何かを創造していくことが好きで、仕事としてそれが出来るのは、自分で独立し気の合う仲間と仕事をするしかないと思っていたからです。
その夢はいつまでも諦めきれず、捨てきれず、僕の心の奥底にずーっとあるのですが、とは言っても現実的な判断もしていて僕は新卒から13年間サラリーマンをしました。
独立するためには「お金」と「経験」は必須で、その他にも諸々必要なものがあると思っていたので、転勤族でいろんな経験が必然的にできる製造小売業のインテリアの会社に就職しました。
小さいころから真面目な両親のもと、「真面目」「ちゃんと」「しっかりと」をモットーに育てられてきたので、その考えは僕に染みついており、独立したい夢は持ち続けながらも就職した会社では「しっかりと」「真面目に」仕事をしました。
性格上、まがったことが嫌いで、負けず嫌いで、責任感が強く仕事に手は抜けないので、とにかく目の前の仕事に一生懸命でした。
また、就職して2年目の冬に子供を授かりそのまま授かり婚をします。35歳くらいまでは自分の好きなようにしたいなぁと漠然と思っていたので、かなりの想定外でしたが、当時は運命を感じていたし迷うことなく翌年パパになりました。
子供が生まれたことで実際問題「独立するという夢」は遠のきました。社会人2年目3年目ですからそんなに給料も良くないですし、毎日カツカツの状態。おまけに子供が生まれると同時に転勤となり、まったく知らない土地で1からのスタートだったので、当時は仕事に子育て(お風呂や夜泣き対応、離乳食におむつ替えなど)で精一杯の毎日でした。
精一杯で余力がほぼ無い毎日を送りながらも、やはりどうしても自分の夢は諦めることができず、「いつか独立する」「いつか自分の思う人生を過ごす」という思いは常に心の奥底にありました。
仕事では成果が出せるように、家庭では家庭円満となるように、とにかく一生懸命の毎日。
そんな中で知らず知らずのうちに僕は僕自身をどんどん置き去りにしていました。
毎日頑張っていたなぁと振り返ると良く思います。
毎日ギリギリの状態だったなぁとも思います。
仕事も、家族も、夢も全部自分一人で抱え、何とかしようとしていました。
余計な争いや面倒なことに巻き込まれるのが嫌だったので、どちらかというと自分を抑えて周囲に合わせ、波風立たず事が運ぶようにしていました。
でもやはり無理していたんですね。
見栄っ張りで他人を気にしすぎる性格も加わって、次第に自分の不安や不満、ストレスや隠している思いなどいろんなものを紛らわすために、
僕は浪費を繰り返すようになりました。
冷静に考えたらわかるようなことも、最早冷静な視点は持ち合わせていないので、どんどん沼にはまっていくような感じ。
そんなことを繰り返した結果、僕は家族を失い、仕事を失い、住むところを失い、加えて多くの借金を抱えるという、どん底状態に陥りました。
どん底から這い上がり、毎日が楽しいと言えるようになった方法
自分の中では一生懸命がんばっていただけでした。
自分の中では家族のためを思って頑張っていただけ でした。
でも結果は結果です。
どうしようもない現実の中で、こんな状態になって初めて自分の現状に正直に目を向けました。
自分のやってきたこと、自分が転落することになったきっかけ、どんな思いでどう思ったからいろいろと動いてきたのか。
すべて俯瞰して冷静に自分に目を向けました。
すると様々なことが見えてきました。
いつの間にか自分を置き去りにしていたこと。
パートナーシップに対する誤解、自分が本当に生きたい生き方とはどんなものか、お金に対しての考え方、自分の周囲の環境の問題点
などなど・・・
無意識に目を背けてきた部分でした。
でも鍵はここにありました。
これらのひとつひとつの事柄に対し真正面から向き合い、受け止め、問題点を発見し解決していくことこそ、僕が変わることができた理由です。
これまでは多くのことに対し「~べき」という思考を多く持っていた僕でしたが、一番大きな変化は「~べき」というのは自分の中だけの思い込みで、実際はそうではなく、いろんな選択肢があっていいし、いろんな考えがあっていい。
それぞれの人生の中で、それぞれに幸せの形があり、それは他人が決めるものではなく自分で決めるものなんだとわかりました。
この自分の環境をきちんと見て、自分にとって最適な状態にすることがオプティマイズです。
僕は状況が状況だったのでとても多くの時間がかかってしまいましたが、一つ一つオプティマイズしていき、今とても楽しく充実した毎日を送っています。
どん底だった僕でも出来たんですから、あなたにも必ずできます。
このブログはそんな僕の経験や考えが、もしかしたらあなたが自分らしく生きるためのきっかけになるかもしれないと思い、僕の思いも含めて綴っています。
このページでは、そんな僕の自己紹介をさせていただきたいと思います。
僕の今までの人生なんて関係ないと思うかもしれませんが、自分でも想像もしていなかった波乱万丈な人生を歩んできたおかげで、現実を見つめる機会がたくさんあり、その中で見えてきたものや考えたことが今の僕を作っています。
そんな僕の今までの人生のエピソードが、あなたのちょっとしたきっかけになるかもしれませんので、気軽に読んでいただけると嬉しいです。
もっと自分らしい人生を送りたいと願うあなたへの僕からのメッセージ
基本情報
1981年生まれ
出身地:新潟県
趣味:サッカー、旅行、食べ歩き、お買い物、LIVEに行くこと
好きなもの:お肉! THE YELLOW MONKEY!!マンガ!!!
幼少期
新潟県の田舎町で育ちました。
親は教師で、7歳、5歳離れた兄を持つ3人兄弟の末っ子。
「しっかり」「きちんと」「ちゃんと」「真面目に」
この言葉を基本的に刷り込まれて育ち、兄の友人達や、父の仕事仲間や教え子と触れ合う機会が多く、いつの間にか「空気を読んで和を乱さない」ことがとても得意な子供でした。
泣き虫で、恥ずかしがり屋で、負けず嫌いの優等生タイプ。
友人の影響や、周囲の「教師の子なんだからしっかりしていて当たり前」という風潮と、真面目だといわれることへの嫌悪感から、悪ぶってみるが、振り切れない。
本当にやりたいことや、言いたいことがあっても、その先を考えてしまい、結局安全地帯の「良い子」の枠内に留まる、そんな子でした。
サッカーとの出会い
小学校3年生の時に友達に誘われて地元のスポーツ少年団に加入します。
初めて他校(自分の居住テリトリー外の人間)に触れあい、初めて自分から親に「これがやりたい」と言ったことが叶ったことで、そして初めて自分がどっぷりとハマッたものがサッカーでした。
暇さえあればボールを蹴ってました。
サッカーはその後ずっと続けるのですが、いろんなことを教えてくれました。
初めての挫折とそこから這い上がった経験もサッカーが与えてくれました。
学校の部活は小学校5年生からだったので、小学校3年生からサッカーを始めていればアドバンテージができます。
当然部活ではレギュラーを取りましたし、スポーツ少年団でもレギュラーを取れるようになり、地区選抜に選ばれるまでになりました。
その地区選抜で初めての挫折を経験します。
意気揚々と練習初日に参加したのですが、たまたまその日は自分と一緒に選抜に参加した友人が参加できず、
話したこともない自分より強豪校の人たちばかりの練習でした。
きちんとコミュニケーションを取れればよかったのですが、人見知り能力を発揮してしまいコミュニケーションも取れず・・・。
結果、練習後全員の前で「レベルが低い、もっと練習しろ」的なことを言われました。
天狗だった僕の伸びきった鼻は完全に折られ、自分を全否定された気持ちになり、その後地区選抜の練習には参加せず、僕は「逃げ」を選択しました。
この「逃げ」はずーっと尾を引きました。
そこからサッカーでうまくいかない時は、周りや、コーチのせいにして、自分を守る言い訳を繰り返し続けるようになり、それは高校2年まで約4年間続きました。
高校2年の時、地区で有名な指導者が赴任してきて、サッカー部の顧問になります。
自分がレギュラーになれないのは、年功序列や監督や周りのせいだと思い込み、自分の実力不足だとは疑いもしなかったので、「これでやっと自分を理解してくれて、レギュラーになれる!」と思い込んでいたのですが、蓋を開けたら何も変わらず、ここで初めて「自分の実力が足りない」ことを認めることが出来ました。
認めることが出来た瞬間から、周囲を気にせず、焦らず、必ず努力は実を結ぶと信じて、とにかくひたすら練習しました。
勉強なんか二の次で、兄弟の中で初めて赤点を取り、兄や母からいろいろ言われましたが、そんなことはどうでも良く、とにかくボールを蹴り続けていました。
幸運だったのはその努力が報われたことです。
選手権に出たとか、総体に出れたとかいえる強豪ではなく、県大会に出れたのが快挙くらいのレベルのチームでしたが、それでもレギュラーを取ることができ、結果を残すことができ、監督から評価の言葉をもらえたことは、僕にとってとても大切な財産となりました。
努力は必ず実を結ぶこと、うまくいかない時は冷静に分析し、自分を俯瞰的に見る必要があること、とにかくやり続けることの大切さをサッカーから教わりました。
外国との出会いと、行動すること
幸運にも大学進学させてもらい、東京での生活が始まりました。
東京への憧れはとても強く、オシャレなインテリアの部屋に住み、サークルや大学生活、バイトに遊びに旅行に充実した毎日を送るぞと意気込んでいたものの、実際に大学1年生を過ごしてみて、「このままじゃ何も残らず終わってしまうな」という妙な焦燥感を抱きました。
そこである日些細なきっかけで、英会話に通いだします。
英会話を始めたことで、ホームステイをするチャンスが巡ってきて、幸運にも一ヶ月イギリスのリバプールでホームステイすることができました。
初めての海外、1ヶ月の外国の家族との生活、日本中から集まった一緒にホームステイに参加した仲間、一人で放浪している日本人との出会い、初めて見るもの、触れるものに衝撃を受け、価値観はどんどん塗り替えられました。
この経験は僕に大きな影響を与え、帰国後は、バイトしてお金が貯まったら海外へ行くという風になりました。
セブ島でスキューバのライセンスを取り、往復の航空券だけ持ってロンドンに行き、夜行の船で0泊でパリに行くなど、お金と時間が許す限りいろいろなことをしました。
実際に経験することの大切さ、行動することの大切さを海外にいく経験を通じて学びました。
社会人生活とできちゃった婚
「いつか独立する」ということを前提に就職活動をしていた僕が最終的に絞った2社は、ベンチャーの会社と、インテリアの会社。
最終的にインテリアの会社に就職しました。
店舗業務から始まり、店長を経て店舗勤務約12年の後、本社商品部へ。
もともと様々な経験が出来ること、自身の起業に繋がることを目的に入社したので、転勤族やクレーム対応、平日休みなど、一般的なサラリーマンとは違ったのかもしれませんが、大変な事もある中で充実していました。
また、ちょうど会社としても右肩上がりの成長期間だったため、面白い人材が集まり、会社は急成長し、世間的にもどんどん認知され認めえられていくという貴重な体験ができました。
しかしながら、サラリーマン特有の理不尽なことも多々有り、常に「なにか違う」「もっと面白い仕事があるはずだ」「やっぱり独立するしかない」という思いを持ちながら働いていました。
転機は入社3年目の出来ちゃった婚でした。
結婚は35歳くらいでいいやなんて簡単に思っていた僕ですが、入社3年目で子どもを授かり、24歳にして結婚することにしました。
もちろん後悔はないですが、ここから現実的に生活を成り立たせていかなければいけない、自分ひとりではないという現実に加えて、
周囲の「若くして結婚して大丈夫なの?」という目に対する意地みたいなものが生まれました。
一方で「一度きりの人生、自分の好きなことをしたい」「起業は諦められない」「独立して自由な生活を送りたい」という思いはいつまでも消えることなく、現実に追われながらも心の隅でずっとその思いを持ち続けていました。
仕事に育児に家族のケアに追われる毎日。これに加えて職場での立場が上がり、給料があがり、立場上のストレスが増え、そして現実的な判断がどんどん出来なくなっていきました。
ストレス解消という大義名分のもと浪費をし、家族のフォローという理由で外食や大きな買い物を繰り返し、そして今となっては無謀な判断でしたが、身の丈に全然あっていなかったハウスメーカーでマイホームを建てました。
副業と人生崩壊
子どもが生まれた後の給与明細を見て、必要な諸経費を差し引いてみた時、このままでは自分の思うような人生は送れないと実感しました。
何かしなければいけないけれど、アルバイトは出来そうにない。そんな僕は自然とインターネットで「副業」と検索していました。
検索してみると、「PCひとつで」「誰でも、どこでも」「本業以上の収入」といった言葉が並び、完全にインターネット副業の虜になりました。
様々なものを読み漁り、試してみるがなかなかうまくいかない。
うまくいかないから他の手法を探すというループを繰り返し、そこから「無料の情報ではダメだ、有料の情報ならうまくいくはず」という思考になり、有料教材に手を出し始めました。
本業と育児の傍らで時間を作って実践する。
恐る恐るまずは安価な有料教材を購入し、だんだんと購入ブロックが壊れて、高価な有料教材を購入し、有料スクールに入り、有料コンサルを受講し・・・と、どんどんインターネットの副業にはまりました。
色々と実践する中で、輸出を行ったのですがこれがやっとうまくいきます。
月利で3万、5万と増えていき、月利10万を越えたタイミングで、ちょうどマイホーム購入の話が持ち上がり、当時の僕の状況では背伸びしすぎたマイホームを購入しました。
しかし、これが人生崩壊のきっかけとなりました。
転勤族の会社は転勤の差し支えになるのでマイホーム購入は推奨していませんでしたが、何も考えず、デメリットに目を向けず、家族ともきちんとお金の話やその後の生活の話もしないまま、本業と副業で稼ぐから大丈夫と非常に安易な考えでのマイホーム購入でした。
その後人事異動が発令され、家族ときちんとした話もしないまま単身赴任を開始。
この二重生活が破滅への第一歩でした。
どん底
二重生活をする中で収入より支出が多くなり、頼りにしていた副業も物販で最も大事な資金が無くなる「資金ショート」でどんどん尻すぼみになっていきます。
しかしながら、どんどん苦しくなる状況を家族には言えず、見栄だけを守るために借金をするようになりました。
一度緩んだ金銭感覚を再び締めるのは非常に難しく、また中途半端に入ってくる副業の収入も有り、借金を借金で返すという生活が続き、見る見るうちに借金は雪だるま式に大きくなっていきました。
借金が大きくなりすぎたとき、一発逆転を狙いネットワークビジネスをやるのですが、これが最後の追い討ちをかけます。
収入はないのに活動費だけが嵩んでいく。
マイナスを補うために店長業務をこなしながら、新聞配達をして休みの日は工場で働きました。
家族の協力があればまだよかったのですが、借金が膨れきった段階でカミングアウトした僕にもう居場所は無く、形上は単身赴任でしたがもう別居という状況が長く続きました。
そんな状態ながらも、本業では本社勤務になります。
しかし本社勤務になり、周囲の仕事に対する温度差に愕然とします。
大変でもない仕事に対し、大変だと言う。非効率な方法を改善しようとしない。
自分のイメージしていたものとはだいぶ違いがありました。
そうは言っても給料は貰わなければいけないので、仕事はこなす。
休みの日はバイトをする。
そんな生活を続ける中で、ネットワークビジネスをしていた時に知り合った社長から声をかけられ、一緒に会社を興そうと誘われました。
破格の給料の提示、会社からの卒業、自由になることで全て改善するという思い、何よりお金があれば全て解決すると信じていたので、僕は会社を辞める決意をします。
会社の上司は考え直せと何度か声をかけてくれましたが、全く聞く耳を持たず、それ以上に今の状態から抜け出したいという思いしかありませんでした。
そしてやってきた退職の日。
半ば勢いもありましたが、予定通り会社を辞めました。
会社を辞めたあと待っていた現実は、知人社長との会社が興ることは無く、僕は多額の借金を抱えた無職となりました。
また同じタイミングでもう限界を迎えていた夫婦関係も終わりを向かえ離婚をしました。
離婚、脱サラ失敗、多額の借金。
それでも生きていくしか選択はありませんでした。
自分を見つめなおし、許し、リセットする
家賃も払えなかった僕は、知人の家に転がり込みます。
退職金を元手に副業時代に身につけた物販のスキルを活かし、個人事業主として物販で生計を建てようとします。
月商100万円、月利で20万円を越えてきましたが、それ以上に借金返済が多く、個人事業主は半年しか持ちませんでした。
そこからはできることをとにかく何でもやりました。
日中はパチンコ屋で働き、夜は焼き鳥屋で働き、すきま時間は単発の仕事を繰り返し、とにかく時間=お金となる実労働を繰り返し、どうにか過ごしてきました。
月に1日休みがあればよい生活を続ける中で、変わらない現状。
自分と向き合い、現実に目を向け、今まで目を背けてきたものに目を向けざるを得ない状況でした。
自分がなぜうまくいかないのか。
自分が本当に求めているものは何なのか。
自分がどんな人生を送りたいのか。
自分はどんな人と関わりたいのか。
今の状態を引き起こした原因は何なのか。
自分と向き合いながら、自分が避けていたものにも目を向け、自分の現状を認め、自分の生き方に対し肯定した時、全てが変化しだしました。
解決すべき問題を解決し、嫌なものを嫌だといい、本音を口にし、ぶつかる時はぶつかる。
こうしていく中でどんどん自分自身を大切にするようになり、自分の時間を大切にするようになり、自分が関わる人や事柄を選ぶようになりました。
そしてどんどん自分らしく生きることができるようになりました。
最後まで読んでくれたあなたへ、僕からのメッセージ
あなたは今自分らしく生きれていますか?
なんとなく不完全燃焼な毎日を送っていませんか?
自分の心の中の本音に正直に向き合えていますか?
僕は「こうであるべきだ」という固定観念にとても縛られて生きてきました。
これは無意識レベルでやってきたことで、常に誰かの目を気にして生きていました。
和を乱さないために自分を取り繕ったり、変な反応が怖くて言いたいことが言えなかったりしながら過ごしていくうちに、
自分の心の中の本音を隠し、さらには隠していることさえ分からなくなっていました。
誰にも何も言われていないのに、いつの間にか自分で作ってしまっていた「こうであるべき」という生き方をしていました。
でも人生は有限です。
そして目を背けてはいけない現実も確実にあります。
現実を直視することは時に自分を否定することになります。
一時的に今までやってきたことが無駄に感じるかもしれません。
他人と違う自分の本心に従った選択をすることはとても怖いことかもしれません。
それでも僕は自分の本心に目を向けて正直になって欲しいと思っています。
僕が経験してきたことは楽しいことばかりではないですが、その経験があって今こういう思考が出来るようになり、そして今自分らしく生きることができるようになりました。
ですが、決して自分ひとりの力でここまでこれたとは思っていません。
たくさんの人の助けやアドバイスを受け、アドバイスを受けても自身で納得して行動に移すまでにまた時間を要し、やっと今こうして生きています。
自分の本心に正直に生き、安心や安定の大事さも理解し、選択するときは自分を第一にして選択し、嫌なものは嫌といい、自分が心地よい方を選択する生き方は本当に楽しいです。
今回自分がこうして文章を書くことで、同じような境遇や思いの人に届き、何か良い変化をもたらすためのきっかけになればいいなと思っています。
もっと自分らしい人生を送りたいと願うあなたへの僕からのメッセージ