嫌な思いをすることも、失敗することも、こんなはずじゃなかったということも、
生きていれば必ずあると思います。
その時どう対応して、どのように考え、どのように次に繋げるか。
その時の選択次第で、大きくその先は変わっていきます。
「誰か」や「何か」のせいになんていつでも出来る
例えば失敗をしたとして、その原因が自分だと明確な場合、
反省や振り返りもしやすく、その原因について突き詰め、次は気をつけようと考えることが出来ます。
逆に誰かが原因で自分が関わっていることが失敗した時などは、
「あいつはなんであんなことをしたんだ」とか、
「あいつのせいで失敗してしまった」とか、
相手の原因を責めたり、時に慰めたりして、
最終的にはじゃあ次は気をつけようみたいな感じで、その出来事が終わることが多いと思います。
失敗のように原因が明確になりやすい場合はさておき、
日常では誰かの言動にイラついたり、誰かの行動にムカついたり、
楽しみにしていたことがつまらなかったり、
もっとうまく出来たなぁと反省することがあったりと、
不意に心動かされることが多々あると思います。
僕の友人にすぐに怒って文句が口から出てしまう人がいました。
怒ってといっても、本気で怒ってるわけでもなく、瞬間的にぐわっと怒りメーターが上がり、
その感情を消すように口から文句が出る感じです。
電車の中でうるさいオバサンに対し文句を言い(直接本人には言っていません)、
運転しては対向車や前の車に文句を言い、
何かあればすぐに文句を言う。
これあまり聞いていて気持ちよいものではなかったので、
ある時から「まぁまぁいいじゃない、そんな大して怒ることでもないし、自分に害もないし」と
僕はその友人に言うようになったのですが、その友人のその癖はなかなか治りませんでした。
心動かされる時、特にそれが負の感情の場合、
その原因を他者や自分以外の何かに向けてしまうのが普通だと思います。
先ほどの友人の例なら、
「同じ電車に乗っていたオバサンがうるさいのが悪い」になるし、
「前を走る車がちんたら走っているのが悪い」になります。
自分のことは棚に上げ、
誰かや何かを非難することでその時の負の感情を解消する感じ。
でもこれって何にも解決しないし、
解決しないから次も同じ場面に遭遇して、
同じような思いをして、
同じように振舞ってしまうと思います。
負の感情を「誰か」や「何か」のせいにするのは簡単で、
どれだけでも出来ます。
極端な例ですが、
今自分が裕福でないのは、日本の景気が悪いからだ
会社がつまらないのは上司や同僚が悪いからだ
天気予報信じて傘を持ってこなかったら雨でびしょびしょになった、天気予報のせいだ
などなど。
本当に原因を自分の外に見つけるのは簡単で、
そしてそうすることで問題解決を避け、負の感情を解放することができます。
全ての行動は自分が選択している
僕自身も大なり小なり原因を他者や自分以外の何かのせいにすることが多かったと思います。
でもある時、何かの対談で「成功者は全ての原因を自分のせいにする」みたいなことを聞いた時から、
少しずつ考え方が変わり、そして行動が変わりました。
その対談の内容も、自分が聞いた言葉も今はあまりはっきり覚えていないのですが、
この対談を聞いて以降、僕は全ての原因は最終的に自分にあると思うようになりました。
これは僕なりの解釈で、僕なりの一つの答えです。
正しいかどうかは分からないけれど、でも、とても生きやすくなりました。
何か不満を言ってしまう時や、イラっとする時はその引き金となる事象が必ずあります。
先ほどの友人の話だと、
同じ電車のオバサンが大きな声で話していることが引き金だし、
前の車がゆっくり走っているのが引き金となって、
友人は文句が口から出てしまっています。
僕も以前は文句が口から出ないまでもイラつきましたし、なんなら今ももちろんイラつきます。
電車の中でうるさい人とかマナーが悪い人は本当に嫌です。
でもある時先ほどの「全ての原因は自分にある」ということを思い出し、
そして毎回毎回何も変わっていないなぁということに気づきました。
日常で誰にでもよく起こることなわけだから当然何度も発生するわけですし、
そこで問題に目を向けて対策を取っていなければ毎回同じことが起きるのが当然なわけです。
でも同じ電車のうるさいオバサンに対する問題解決や対策って何なんだろう?て思いませんか。
注意するのは正解なのかもしれないけど、もっと嫌な思いをするかもしれないし面倒ですよね。
そこで考えました。
仮に自分に原因があるとしたら、何が問題なんだろうと。
するとひとつの答えが見ました。
何両も電車がある中で、そのうるさいオバサンがいる車両を選んだのは自分で、
車両を移動することもできたのに移動しなかったのは自分で、
極論自分で選択していたんです。
ちょっと強引かもしれませんが、こういう風に考えていくと、
結局全ての行動は自分が考えて選択してることに気づきました。
無意識かもしれないけれど自分で選んでいて、そしてその先にそれぞれの事象に遭遇しているのです。
友人が文句を言った、前の車が遅かったことは、
ゆっくりのんびりと走る気持ちの余裕がない、すなわち時間的余裕をもてなかった事が原因だ、みたいな感じです。
もちろん60キロ制限の道で時速20キロで走り続ける車がいたらそれは完全に迷惑ですし、
どう考えても自分に非のないことだってあるのも事実です。
でも良い悪いではなく、自分が原因かも?という視点を持つことで、次から同じ事態を避けやすくなります。
他者を変えることは出来ないけれど、自分の行動は変えることが出来るからです。
すべての出来事はたくさんある選択肢の中から自分の意思で選んだ行動の結果起きていると考えると、
反省点も見つかるし、改善も出来るし、次は避けることも離れることも出来るようになります。
僕はこのように考えるようになってから、自分が嫌だったり不快に思いそうな他者や出来事からは、
とことん離れるようになりました。
この選択をできるようになってから、とても生きやすくなりました。
全ての原因は自分にある。
完璧じゃなくても良いので頭の片隅に置いておくと良いと思います。