僕らは毎日生活していく中で、多くの情報に触れ知識を蓄積していきます。
幼少期は両親や家庭環境から多くの情報を得て、成長するにつれ外に出て外からの情報を入手し、
それ以外でも書籍やインターネット、職場環境から新しい情報を入手し、
そして自然と「普通」「当たり前」「一般的」という感覚が知らず知らずのうちに形成されていきます。
得た情報の中でも自身が体験していないことや、信頼している人からの情報は「先入観」として蓄積されます。
自然と蓄積されたこれらの感覚は、行動を抑制する力を持っているので注意が必要です。
思い込みの怖さ
先入観や各個人が持っている当たり前や一般的、普通という感覚は、
「~だから〇〇できない」とか「~だから〇〇するべきだ」という行動思考を生み出します。
医者の家系に生まれた子供が小さい時から『将来医者になって跡を継ぐんだ』と言われて育ち、
それに疑問を持たなければ医者になることが当たり前になるし、
『会社とは多少理不尽なことがあっても続けるべきものだ』と言われ続けて育った人は、
実際に会社で理不尽があっても『会社ってこんなものだよね』と自然に思うようになります。
テレワークが浸透しだしたときにそれが浸透しなかった会社は、
『家でなんて仕事ができるわけがない』と思い込んでいる人が意思決定部署に存在していたからだと思います。
自然と身についていた感覚なので、特段疑問を持たず意識的に打破しなければ、
その感覚は消えることはありません。
これらの感覚によって行動を抑制してしまうことによって、
たくさんの可能性やチャンスをつぶしているんだなと痛感した出来事を、
僕はいくつも持っています。
その中の一つのエピソードが、LCCで九州1泊2日旅行をした時の話です。
当時僕は茨城県に住んでいました。
新潟生まれで西日本は神戸までしか行ったことがなかった僕にとって、九州はかなり遠いところ。
1泊2日なんて無理だし、遠方だから旅費も莫大に必要だしなかなか行けないだろうなぁと思っていた土地でした。
ある時新しく知り合った友人が九州に住んでおり、
泊めてあげるから遊びにおいでよと誘ってくれました。
休みを調節すればどうにか1泊2日は確保できる、あとは旅費だけ・・・。
当時の僕は金銭的には余裕がある状態ではなくて、
金銭的理由で無理だなと思い込んでいました。
断りの連絡をその友人にしているとき、
友人が不意に「LCCなら往復1万円かからないよ。春秋航空ならもっと安いかも」と告げてきました。
衝撃が走ります。
九州なんて遠いところに飛行機で行くのに、往復1万円で済むの??
春秋航空って何?
あれ?でも行けるんじゃない?
もう一度調べてから連絡すると告げ、僕は早速調べました。
確かに往復1万円以内でいけるし、春秋航空という中国のLCCも存在していて、
なんと春秋航空なら片道2000円程度で行けてしまうのです。
完全に行けると判断し、僕はどんどん具体的に行くための準備を進め、
お得に行ける方法や現地情報を調べ、そして1泊2日の九州弾丸旅行を決行しました。
もともと数回しか会ったことのない友人で楽しめるか不安もありましたし、
中国のLCCって聞くだけで何となく大丈夫か?という不安もあったのですが、
実際に行動に移してみると、
飛行機も快適だし、友人との時間はとても楽しく、素晴らしい充実した時間を過ごせたのです。
思い込みで行動していなかったら味わえなかった経験でしたし、
これをきっかけにLCCで各地に弾丸旅行をして様々な経験をすることや、
調べれば各地にお得に行けるということを学びました。
もしあの時思い込みに負けて行動していなかったら、
時間的なもの、金額的なもの、経験値において大きく損をしていたと思うと、
思い込みって怖いし勿体ないことだなぁと思います。
自分の「当たり前」は、世の中の「当たり前」とは違うかもしれないという視点をもつこと
人は変化を嫌うものだし、
経験したことのないものに対して恐怖を感じ無意識に嫌いとしてしまうところが多々あります。
先入観や当たり前、一般的というものは、その人の生活の中では文字通り一般的な普通のことで、
そこから外れる考え方や出来事は基本的にシャットアウトしてしまいがちです。
人は見た目で判断されることが多いですが、
やはりチャラチャラしている見た目の人はどうしてもいい加減だったり、軽そうなイメージを最初に持ってしまいがちですが、
壁を作らずフラットに接してみるとそんなことはなく、
実は自分ととても馬が合い、親友になったなんてこともあると思います。
ルールを守ることや、法律を守ることなど、
世の中のルールとして確立し共通認識と定めたものは、当たり前として認識し守るべきものですが、
そうでない場合、
当たり前や、~するべきだという感覚を、生きていく中でいつの間にか植え付けられています。
そしてそれは意識しないと、その感覚を持っているんだということにすら気づきません。
自分が間違っていると思って生きている人なんてほとんどいないと思いますし、
人それぞれその人の中の当たり前や基準があるのです。
しかし先程の九州弾丸旅行の例でいえば、
あの旅行を決行しないで、その後日程的、金銭的余裕がなければ、僕は未だに九州に行っていない可能性だってありますし、
九州弾丸旅行があったから視点が変わって経験できた、たくさんのことを経験していないかもしれません。
それはとてつもなく勿体ないことだと思います。
ではどうしたら自分の当たり前や、先入観を疑えるのでしょうか。
そのはじめの一歩は、
自分の当たり前は当たり前ではないかもしれない、
自分は先入観に囚われているだけかもしれないと
自問できる視点をもつことです。
疑わなくてもよいものを常に疑うほど、疑い深くなる必要はないと思いますが、
世の中の出来事や自分が「そんなの当たり前だよ」と普通に口走ってしまうことに対して、
「これ本当にそうなのかな?」と自分自身に疑問を投げかける癖をつけるといいです。
そして他者の意見や考えをたくさん浴びること、
いつもの自分の周りではなく違う環境の話を聞くこと、
先人の知恵や考えを得ることができる読書をすることで、
様々な考え方があることを自分の中で理解してみましょう。
自分自身の選択に対し一度疑問を投げかけ、
やったことがないことでできることであれば実際に行動してみること、
これがとても大切です。
すぐに行動まではいかなくても、
「もしかしたら自分の思い込み?」という視点をもつだけで、
見える世界はどんどん変わっていくと思います。