関わる人や、自分の環境次第で不平不満を聞く回数を減らすことはできるけれど、
僕らの周りには不平や不満を言う人が必ずいます。
大きな不満から小さな不満まで深刻さや重さは違えど、
一切不満を言わない人というのもそうは多くないだろうから、
不満というものが存在するのはある種日常のことなのだと思います。
もちろん僕もついつい言ってしまうことがあるし、
誰かに話すこと、聞いてもらうことで解決に向かうことがあることも事実。
でもただ言っているだけでは一時的に気分が良くなったり、
ストレス解消になったりするだけで現実は何も変わってはいないことに早々に気づかないと、
気づいた人と気づかない人の差はどんどん大きくなっていきます。
組織というもの
誰にも会わず一人だけでずーっと生きていくなんてことはほぼ無いと言っても過言ではないと思います。
ご近所付き合い、学校、会社、コミュニティ。必ず他人と関わりながら生きています。
人それぞれ生まれてきた環境も、バックボーンも、出会うまでに経験してきたことも違うわけだから、
考え方が違うのは当然のこと。
学校は割と年齢が近い人たちが集まるし、
コミュニティやご近所というのは何となく近しい考えを持っている人が多い可能性が高いけれど、
会社はそうでない場合が多いと思います。
もちろん素晴らしい会社もたくさんあるし、
会社の規模にかかわらず働き甲斐を社員全員が感じ、
同じベクトルで進んでいる会社も実際に知っているし存在しているから、
すべての会社がそうだとは言わないけれど、
自分の経験上でも、考えが全く違う人たちばかりという会社があることも事実だと思います。
会社にはそれぞれの色があり、部署によっても色があり、
トップの思想が大きな影響力を持った会社もあれば、
適当、諦め、怠惰が蔓延してしまっている会社もあります。
前者の場合は自分がトップの思想に共感できるかどうかで大きく変わってくると思うのですが、
同じベクトルを持って切磋琢磨しやすい環境だと思います。
厄介なのは後者の場合。
この場合、そもそも基準値が人それぞれで全然違うのです。
僕が以前いた会社ではトップが圧倒的権力を持ち、自分の興味のある分野以外は全て適当。
なぁなぁで物事を進め、トップの周りには保身しか考えていない老兵たちが揃い、
トップに気に入られない限り正しい意見を通すことはできない環境で、
有望な若い世代はどんどん退社し、適当に働いて給料をもらえることに旨みを感じる人だけが残るという組織でした。
そんな組織の中で、僕が属していたグループは、
そんな組織とは真逆の銀行からきたエリートさん率いるグループ。
このエリートさんがキャラ的にかなり個性的だったこともとても大きいのですが、
エリートさんとその他大勢の感覚は天と地の差があり、
エリートさんは自分の考えや信念を柔軟に変えることができず、常に不満を抱えていました。
転職組だった僕はフラットの考えを持っていると思われ、
その結果、個別にこのエリートさんの不平不満を聞く機会が日に日に増えていったのです。
人と人が関わる以上、不平不満は必ず発生する
このエリートさんの不満は必ず最後同じ着地で、
決まって「みんな何も考えていない」でした。
前述したような組織だから、考えているわけがありません。
いや考えてはいるのだけれど、その基準値が低すぎるために本人たちは一生懸命やっているつもりだったけれど、
エリートさんの基準だとまったく考えていないという判断になっているという感じでした。
そんなことは1か月も在籍すれば分かることなのに、
そのエリートさんはずーっと自論を曲げず、自分のやり方を押し通し、
反発をくらうことになります。
基準値が違い過ぎるのは、日本語を知らない外国人に日本語でまくしたて続けるようなもので、
うるさい、面倒な人だというイメージだけを植え付けてしまうことになりました。
あまりにも個別で何度も何度も、
「どうして何も考えないんだ」「前の会社ではこうだった」と僕に不満を言うので、
僕は聞かされ続けて嫌気がさしてきたのもあり、
「ここはそういう組織で、そういう文化が正として成り立っている。」
「となるとその中でどうするか考えるか、トップとやりあうかしかないんじゃないですか」と毎回答えるようになりました。
これでもかというくらい毎回言い続けたので、さすがにやり方を変えるか、徹底的に議論するものだと思ったのですが、
そのエリートさんも保身があるので、トップには逆らえず、トップの前では飼われた猫のようになってしまっていました。
自分が正しいのだという考えを曲げず、
その他大勢が間違っているんだという考えを曲げず、
反発を食らってもその原因に目を向けず、結果的にこのエリートさんは居場所をなくしました。
居場所をなくした理由は直接的なものから間接的なものまでたくさんあったと思うのですが、
一番は不平不満しか言わず、自分の考えを曲げず、
現実的にどうするかを常に状況に合わせて変化させながら進んでいくことができなかったことにあると思います。
世の中にはたくさんの人がいて、生きていくためには人と人は関わらざるを得ないのです。
考え方が違うのは当たり前で、基準も人それぞれ。
仮に自分と関わる人の基準が自分が想像している基準よりもはるかに下だったとして、
人を変えることは出来ないません。
強引に自分の考えに従わせることは出来ても、その人の考え方を変えることはまず不可能で、
強引に従わせてもそれはその時ただ従っているだけで、根本が変わらないから次もまた同じ状態からスタートしてしまいます。
それよりも、どうしたら「自分の基準に対して疑問を持ってくれるだろうか?」とか、
あえてその人の基準まで自分が下りて行って、その人目線でやってみるとか、
自分の声を素直に聞いてもらえるようにまずは人間関係を構築するとか、
様々な方法を試してみるべきだと思います。
正解は一つではないから実践しながらいろいろ試していくしかありません。
しかし、不平不満を言って終わってしまっている人はたくさん存在します。
なぜなら変化を起こすことはとてもパワーのいることだからです。
不平不満をまき散らすパワーがあるならその気持ちをエネルギーに変えて、
できるためにどうするかに変換させればいいのにと思うけれど、それはなかなか難しいようです。
不平不満は聞いてる方もよい気分はしません。
仮にみんながみんな不平不満ばかりをいう組織だったら、そこに在籍することが嫌になると思います。
これは個人間でも同じで、不平不満しか言わない人の周りには同じように不平不満しか言わない人が集まり、
そうでない人はどんどん離れて行ってしまうのです。
不平不満は言ってしまうものだけれど、言っているだけでは何も変わりません。
それどころか、有望な人が離れて行ってしまうのでマイナスですらあります。
適度に不平不満を吐き出す場所を持ちながら、
常にどうしたら良いか、
次につなげるためにはどうするかなどを考え、
おかれた環境下で少しでも自分にとってプラスになるように試行錯誤することが、必ず次に生きてきます。
不平不満が存在するのは当たり前のこと。
大事なのはいつも、その状態でどうするか、何をするか、どう考えるかだけなんだと思うのです。