僕は未だに頑張り続ければ必ずいつかどこかで、どんな形かは分からないけど実を結ぶと思っています。
そして実際に頑張ってきました。
でも上には上がいるんです。
行動するのは最低限必要なものに過ぎない
頑張っても結果が出ない。
頑張ってもうなくいかないということは往々にしてあります。
この時に、
自分は頑張っているのになんで評価されないんだろう?
自分は頑張っているのになんでうまくいかないんだろう?
と、自分ががんばったたことを前提に考えてしまうと、
自分の頑張りの中身や精度に関してなかなか目を向けることができなくなります。
評価をその時得ることができなかったのは一つの事実というだけで、
自分の頑張りが否定されたわけではありません。
うまくいかなかったのは一つの結果なだけで、
自分の頑張りを否定しているわけではありません。
どんな頑張りであっても、頑張ったことは事実だし、
それは決して無駄ではなく、
ただただ結果として表れなかっただけなのです。
とは言っても、なかなか気持ちをきり変えることが出来ないほど頑張ったことや、
うまくいかなかったことにひどく落ち込むこともあるでしょう。
そういう時はそれでいいんです。
自分の気持ちに正直になり、
一息ついて落ち着けたときに、
自分の頑張りの量や質、中身に目を向けてみると本当にいろいろなものが見えてきます。
そして一つの事実に気づくはずです。
みんな頑張っていると。
そう、頑張ることなんて最低限のもので、当たり前なんです。
「頑張った」の中身を検証する
結果が出なかった事例があったとして、
頑張ったのにうまくいかなかったなぁではなく、
とりあえず自分は頑張った。けど、今回は結果が出なかった。回りももちろん頑張っている。
と考えて、そもそも自分の頑張りはどうだったのかに目を向けてみましょう。
するとそもそも、
自分の「頑張った」量は、他の人から見たら全然量が足りなかったとか、
得意な部分しかしなくて不得意な部分を伸ばさなかった努力の方向性が間違っていたとか、
時間だけはかけたけど、やり方がまずくて効率がわるぎたとか、
何かしらうまくいかなかったことの反省が見えてきます。
この反省点をきちんと見て、
自分で分析して、仮説を立てて検証することが大事なのです。
よくあるパターンは、
今回は頑張ったけどうまくいかなかった。きっと頑張りが足りなかったんだ。
次はもっと頑張って、絶対に成功させよう。
だと思うのですが、これだと何をしたら良いのか、前回より改善できているのか分からずスタートしてしまいます。
これでは時間も無駄にしてしまいますし、
せっかくの行動の結果を次に活かせていません。
当然また同じ結果になる可能性が高くなります。
うまくいかなかったり、失敗したりしたら、
もちろん悔しいし、落ち込むこともあると思いますが、
無理をせず事実を受け入れるようになってからで良いので、
自分の「頑張った」の中身に目を向けてみましょう。