努力は必ず実を結ぶ。
この言葉を否定する人もいると思うし、そう思う気持ちも理解できる。
この世の中には努力しただけでは求める結果が得れない場合もあるし、僕自身もそういう経験をしている。
だからこそ成功体験として努力が実を結んだという経験が出来た僕は、とっても運が良いのだと思う。
何かのせいにして逃げまくった日々
僕は小学校3年からサッカーを始めた。
父親は中学校の野球部の顧問だし、次男は野球部のピッチャーだし、野球するものだと思っていたが、
ある日仲の良かった友達から地域のスポーツ少年団でサッカーをするから一緒に入らない?と誘われたのがきっかけでサッカーを始めた。
サッカーが特別好きだったわけではないけれど、
別に他にこれといったものもなく、なんとなくでサッカーを始めた。
習い事を一切していなかった我が家。塾とかはいらないという考えの家だった。
そんな中で一種の習い事になるスポーツ少年団に入ることを親が許したのが僕は意外で、
そんな親が始める条件として出したのは、始めるなら休まず続けることだった。
根は真面目だし、負けず嫌いなので練習を重ね、
はっきりとは覚えていないけれど小学校5年生くらいではレギュラーをとっていたような気がする。
この後人生ではじめての挫折と逃げを経験するのだが、
この小学校3年生からサッカーを始めたというアドバンテージは大きかった。
僕の通っていた小学校では、5年生から部活が始まる。
当然5年生になって初めてサッカーをする子もたくさんいるわけで、
特に苦労する事もなくメンバーに選ばれ、僕は自分が巧いんだと内心思っていた。
普通に練習を続け、スポーツ少年団でも練習を続けていたのだが、
確か小学校6年生の時に、地域選抜メンバーに入り、その初めての練習で挫折を味わい、
僕はある程度しか練習しなくなった。
地域選抜の最初の練習で、初めて面と向かって「実力不足」と言われ衝撃を受けた。
もう辛くて嫌で嫌で、その日以来地域選抜の練習にはいかなくなった。
頭の中では行かなければいけないと思っているのだが、
一方で、もう嫌で嫌で、あんな思いをするなら行きたくないと思ってしまい、
そんな自分を擁護するように、言い訳を並べて自分で自分を慰めた。
あの日実力不足といわれたのは、周りとコミュニケーション不足で連携できなかったからだ。
地域選抜のコーチは有力校の顧問で、有力校の部員がたくさんいる中で自分は一人参加したのだから連携できなくても仕方ないんだ。
一緒に選ばれた同じチームの友達が急用で参加できなかったからだ、それでも自分は無理して参加したんだ。
たくさんの言い訳を頭の中で並べ、その言い訳にどんどん支配されていった。
中学でも変わらずサッカー部に入部した。
ここでも小学校3年からのアドバンテージは続き、上級生がいる時は難しかったけれど、
上級生が引退したあとはレギュラーをとれた。
同学年で上級生がいてもレギュラーを取るやつもいたが、
勝手にそいつは上級生と仲が良いからだと思い込むようにしていた。
小学校3年で始めたころは暇を見つけてはボールを蹴っていたのに、
いつの間にか他の人と同じ程度の練習しかしなくなり、
でも試合に出れるメンバーには入っていたので、特に何とも思わず、行動も変わらなかった。
高校に入ってもサッカーを続ける気でいたし、高校に入ってもメンバーになれると思っていた。
高校のサッカー部では入学してくる地域が、小学校中学校とは比べ物にならないほど広がり、
同学年で巧いやつはたくさんいた。
1年生からメンバーになる奴もいたのだが、当時の監督はどう見ても素人監督。
さらに3人兄弟おなじ高校で、僕の次男の担任だった人が監督で、
なんなら次男はその担任にひどく嫌われており、僕のことも嫌っていた。
今まではレギュラーになっていた時期に自分はメンバーになれない。
なんならその監督のお気に入りの、高校からサッカーを始めたような奴がメンバーに入る。
僕の中ではこの監督がダメなんだ、こいつがいる限り上級生が卒業するまでは自分はメンバーになれないな、
そんな事ばかりを考えていた。
ところが幸運にも2年生になると地域で有名な監督が赴任し、
あのうっとおしかった素人監督から、実力のある監督に代わった。
これで自分はメンバーになれる。
この人なら僕の実力を理解してくれる。
そんなことを期待していたのだが、結果は何も変わらなかった。
僕は唯一言い訳にしていた理由を失った。
我武者羅にとにかく練習するしかなかった
すんなりと、「はい、これは自分の実力不足ですね、練習するしかないですね」と認め、行動できたわけではない。
現実を受け入れるのにそれなりに時間を要したと思う。
ただ言い訳が出来ない状況に追い込まれて初めて、
自分の実力不足を受け入れて、何が足りないのか、何をすればメンバーに入れるのかを、
客観的に分析することが出来るようになった。
通常の練習をこなし、居残り練習や、土日の練習や朝錬もするようになった。
僕が考えたのが、
基礎をもう一度身につけること、
基礎体力をつけること、
ウィークポイントを改善すること、
得意なものを伸ばすことだった。
今考えてもなんでここまで冷静に分析できたのか分からないのだが、
根底にあるのは「自分は実力不足なんだ」と認めることが出来たこと、
言うならば自己否定がきちんと出来たことだと思う。
小学校のある日から、誰かのせいにして言い訳して逃げ続けた代償は大きくて、
考えを改め直し練習に明け暮れたもののすぐに結果は出なかった。
続々と同学年がメンバーになっていく。
練習するも結果が出ない日々。
支えてくれたのは「いつか必ず身を結ぶ」と自分を信じることだけだった。
練習していると不思議なもので、ある時を境に一気に出来ることが増えるタイミングがくる。
これがきっと実力が身についたということだと思うのだけれど、
このタイミング以降今まで出来なかったことが出来るようになったり、
思いのままにボールを蹴れるようになったり、
苦手だった部分もそこまで苦手意識無く出来るようになってきていた。
ここまで来ると辛いとか嫌だとか悔しいよりも、楽しいが勝って、
僕はご飯を食べながら居眠りをして、ご飯茶わんに顔を突っ込んで熱くて起きてしまうくらいになるまで練習した。
すると本当に幸運なのだが、監督がそれを認めてくれたのか、実力が純粋についただけなのか分からないが、
メンバーになることが出来、卒業まで不動のポジションを手にすることが出来た。
さらには基礎技術、基礎体力をつけたことで安定し、
得意技を磨いたことにより、それは僕の武器になった。
半年以上状況は変わらず、ただひたすら自分を信じて地道に努力を続けた期間があったが、
それでも続けたことで僕は結果を得ることができた。
これは僕の中で大きな自信となり、その先の人生に繋がる大きな成功体験となった。
何かの大会で優勝するとか、資格試験に合格するといったことも成功体験だし、
例えば出来なかった逆上がりを練習して、逆上がりが出来るようになることも成功体験だと思う。
成功体験に大きいも小さいも無いと思うのだが、
成功体験は自分に自信をもたらしてくれる。
そしてその自信は、「次もきっとやれば出来る」といった次の行動への原動力となる。
時には諦めることが必要なこともあるし、
やり方が間違っていたと自分を認めることも必要。
でもそうでないならば結果が出るまで、自分の納得がいくところまで努力を続けてみるべきだと思う。
努力は絶対身を結ぶとは言い切れないけど、
諦めず続けることは必ず大なり小なり結果をもたらす。
その結果が成功体験となるように努力するべきだし、成功体験はどんどん次につながる。
僕が自分らしい人生を送れるようになれたきっかけの一つは、
まちがいなくこのサッカーでの成功体験なのです。