たくさんの失敗を見てきているのに、
たくさんの失敗を聞いているのに、
なぜか自分のことになると「自分だけは特別だからうまくいく」と思ってしまっていました。
なぜか出てこない「根拠は?」の問い
他人のことはよく見えるものです。
他人の行動を見て、「そんなのうまくいかないよ~」とか「無理だって」とかは頭に浮かぶのに、
いざそれが自分になると、なんでか「できる前提」での話しになってしまいます。
Aという手法で月収100万円行きました!自分のようになりたい人はぜひこのコミュニティへ参加してください。
参加料は10万円です。
みたいな案件があったとします。
10万円という参加料は安いものではなく、ノリで参加するには躊躇する額です。
なので、参加にはある程度の決意がないと踏み切れません。
あの手この手で10万円を捻出する方法を考えます。
この時の思考は、
コミュニティに参加したら数ヵ月後には自分も月収100万円だという妄想でいっぱいで、
主催者はどうやって月収100万円まで行ったのか、
月収100万円に到達するまでにどれだけの時間やお金や労力をかけたのか、
主催者が実践した内容と同じ内容を自分ができるかなど、
具体的に考えるべき項目には意識は向いていませんでした。
それだけならまだしも参加料を捻出することがゴールになってしまっていて、
そもそも無理をして参加料を捻出する状況はすでに好ましくない状況であることや、
参加してもやっとスタート時点に立っただけで、
最も大事なのはそこからどう動いていくかということなのですが、
そこは全く考えられていない状況でした。
参加したらうまくいくその根拠は何?という質問を自分にすることが出来なかったのです。
自分だけは特別なんてことは無い
何か行動をして、良い結果をだすためには、それに見合った行動と戦略が必要です。
Aさんは時間が少なくてうまくいかなかった、
Bさんは自分よりいそがしくしているけどうまく実践し結果を出した、
という事実があったとして、
それはAさんと、Bさんの事実であり自分にそのまま当てはまるわけではないのです。
しかしなぜかAさんは失敗したけど、自分は大丈夫だとか、
Bさんより時間が使える自分はうまくいくなどといった、
自分は特別だからうまくいくんだという思考をもってしまい、その根拠は何?という質問には耳をふさいでしまいがちです。
大切なのは自分の場合の話で、
自分がきちんと実践し、行動し、考え、改善していくことで、
決して、
自分は何もしないでうまくいくとか、
自分は参加したらうまくいくとか、
そういう自分は他とは違い特別だから大丈夫ということはありません。
何かに参加するとき、
何か行動を起こすとき、
自分は特別だから大丈夫という思考を捨てて、
どうやったらうまくいくか、
うまくいくために何をする必要があるか、
それらを具体的に自分の生活にどう落とし込むかという、
現実的な判断が必要不可欠になります。
誰しもできれば努力せず成功したいものです。
でも根拠の無い、自分は努力せずともうまくいくんだという思考は捨て去って、
現実的にどうするのか、何ができてどう時間を使っていくのかなど、
具体的な行動案を考えて物事を判断する必要があるのです。